10月には2回、日本茶の日があります。
その日は、10月1日と、10月31日です。
この2日間は、どちらも歴史に関係することで、日本茶の日と制定されました。
日本茶の日が何故2日あるのか、調べてみました。
まずは、10月1日の日本茶の日についてです。この日は、豊臣秀吉と関係しています。
天正15年(1587年)の10月1日に、豊臣秀吉は北野天満宮とその周辺一帯の松原で大茶会を開催しました。これは北野大茶湯と呼ばれ、大規模な茶会ですした。
この茶会の特徴は、身分関係なく、町民でも百姓でも誰でも参加が出来たという点です。
この茶会により、日本茶が庶民へ広まったとして、日本茶の日として、株式会社伊藤園さんが制定しました。
続いて、10月31日の日本茶の日についてです。
こちらは禅僧の栄西が関わってきます。
建久2年(1191年)に栄西が宋より帰国する際に、茶の種子と茶の製法を持ち帰ったされる日が、10月31日です。
僧の栄西は、なぜ日本茶の種子を日本に持ち帰ったのでしょうか。
栄西は2度、宋に留学をして、禅宗を学びました。その時、禅院で修行の茶礼(されい)として行われていた茶の習慣と出会いました。
茶礼とは、禅宗における飲茶の礼法で、茶の湯の原型と言われています。
禅寺では1日に数回茶礼が行われており、朝の座禅と食事の後、作務の休憩時や就寝前などに、1つの薬缶から皆で分け合って番茶を飲むと言うもので、朝晩の茶礼は点呼の意味もありました。
特に座禅の後の茶礼は、眠気覚ましの特効薬的な意味があり、欠かせないものとされています。
栄西は、その茶の習慣を、禅寺だけではなく良薬として一般に広げるために茶の種子を持ち帰り、その効能を説いた「喫茶養生記」を記しました。
「喫茶養生記」は茶の作法を書いた物ではなく、当時の中国でとかれていた茶の医学的効能を中心に書かれており、その他茶樹の栽培方法や、茶の煎じ方などについても書かれていました。
このような事により、茶の文化を広く一般に広めた栄西は、茶祖と言われています。
その為、栄西が日本に茶の種子を持ち帰った10月31日は、日本茶の日と制定されました。
このように、どちらも茶が日本でどのような関わり方、広まり方をしたのかが分かる日が記念日として日本茶の日になっています。
2日間あるのは、何故?と思いましたけど、記念日が多くあると言うことは、それだけ日本人と深い関わりがあったんだなと思います。
実のところ、お茶が庶民に普及したのは江戸時代ごろだと言われています。
もちろん、それ以前にもお茶は庶民の間でも飲まれていましたが、庶民が飲んでいたお茶は、秀吉が飲んでいた茶の湯とは異なり、簡単な製法で作られた煎じた茶と言われています。それが、1738年に永谷三之丞(宗円)が、煎茶の製法を完成させました。その煎茶が急須に入れて茶を抽出する茶の製法で、今の煎茶製法に繋がっています。
江戸時代の頃から脈々と続いてきていると思うと、お茶って本当に世俗に溶け込んで、当たり前にそこにいたんですね。
さて、お茶に関係する記念日は、この他にも多数あります。
2月6日 抹茶の日
4月29日~5月5日の1週間は、グリーンティーウィーク(緑茶の週間)
5月2日 緑茶の日
11月1日 玄米茶の日
11月23日 お茶一杯の日
などなど…。
他に調べてたら出てきそうですので、気になりましたら、皆さんでも調べてみてくださいね。
それでは、今日はここまでです。
また。